
【回顧録―あの人は今―】
【回顧録―あの人は今―】(技能実習制度)
この業界に15年以上足を踏み入れている方の中で、『中国人』技能実習生の監理を通過しなかった人はいないと言っても過言ではありません。
上海(浦東・虹橋)、北京、青島、大連…送り出し機関の契約数にも制限は無かった為、受入企業の希望、職種、またリスクヘッジも合わせて、1度の海外渡航で複数の送り出し機関を訪問、受入企業の面接順に合わせた航空券手配、持参する捺印資料の数々、すっかり忘れた手土産は慌てて空港で購入…昨今のベトナムとは比でもない状況を過ごした方もいます。
面接終わりの高級接待、マッサージ、カラオケ、ベールに包まれたその世界は、今ほど情報拡散されることはありませんでしたので、それが当然…そのカラクリを知った時、自己嫌悪に陥り、ベトナムでは同じ失敗を繰り返さない、そう誓ったからこそ、技能実習生の借金問題も敏感になります。
あの頃、海外渡航にも何から何まで対応した「日本研修部:部長」などの肩書を引っ提げ、来日時にはパンフレットを持参して全国の監理団体を走り回っていた担当者、海外渡航時にだけお会いする申請書類責任者、流暢な日本語で、日本語教育の主任を兼任する日本語教師の方、中国からの技能実習生がピークを越えた今、どこで何をされているのでしょうか?
末期の頃、この職種の人材は集まらない、3倍どころか2倍の人数も集まらない、明らかに面接時において質の低下を感じる…それでも中国でしか技能実習生を行っていなかった時代、送り出し機関を変更する程度しか対応策も無く、もう一度チャンスを与えよう…そういった絆創膏を貼るような対応を2,3年繰り返し、自然とベトナムへ切り替えていきました。
切り替えの理由を「質の低下」と言われる方もいますが、これは原因の1つでしかありません。いつの時代も、どの国においても「質」が高く感じる人材と、そうではない人材がいます。そして、この原因は送り出し機関、送り出し国だけにもありません。受け入れの日本側の待遇が「質」の高い人間に魅力を与えなくなったことも原因です。
まるで日本側が見限ったような発言をされる方もいますが、実際には母国の生活水準が上昇し、「見限られた」のが事実です。しかしその予兆は全く同じ展開を辿りますので、これから先、コロナ後には一気にベトナム側に見限られ、「あの頃のベトナムは…」と振り返る日が来るのでしょうか?そう遠い日ではないとも思いますが。